
【レビュー】ブラピに心を燃やされる映画『F1®/エフワン』を観た|ロマン溢れる究極の映像体験
公開日|2025年7月6日
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2025年の夏、話題の新作映画が続々と公開される中、ひときわ注目を集めている映画『F1®/エフワン』。
モータースポーツ界の頂点に君臨する「フォーミュラ1(Formula 1)」=F1®を舞台に、ブラッド・ピット演じる型破りな元・天才F1®ドライバーが、最下位に沈む弱小チームに加わり、強敵を相手に頂点を目指していく物語。
ブラピがF1®マシンを乗り回す絵を想像するだけで胸が躍るが、その期待を裏切らないどころか遥かに上回る映像体験を生み出すべく、本作には超一流の製作陣が集結した。
監督は『トップガン マーヴェリック』で、空の世界を圧倒的なスケール感で描き出したジョセフ・コシンスキー。
製作は『アルマゲドン』、『パイレーツ・オブ・カリビアン』シリーズなど大作を手掛け続けるジェリー・ブラッカイマー。
そのほか、脚本に『トランスフォーマー』シリーズのアレン・クルーガー。音楽には、『ダークナイト3部作』、『DUNE/デューン 砂の惑星パート1&2』など数え切れないほどの劇伴を作曲し、映画音楽界の頂点に君臨するハンス・ジマーが名を連ねた。
そう、これは『トップガン マーヴェリック』の最強布陣が、再び顔をそろえるというとんでもないプロジェクトなのだ。
さらに本作は、俳優が数ヶ月間トレーニングを重ね、本物のF1®マシンに乗り込んで撮影が敢行されるなど、リアルさを徹底的に追求したこだわりが詰まっている。
地上版『トップガン マーヴェリック』とも評される本作。
舞台を空から地上へと移し、果たしてどのような映像体験を観客に届けてくれるのか──。
さっそく鑑賞してきたので、感想をここから語っていきたい。
F1®/エフワン
基本情報

監督|ジョセフ・コシンスキー
主演|ブラッド・ピット
音楽|ハンス・ジマー
配給|ワーナー・ブラザーズ・ピクチャーズ
公開日|2025年 6月27日
上映時間|155分
あらすじ
かつて天才と呼ばれた伝説的なF1®ドライバーのソニー(ブラッド・ピット)は、無宿のレーサーとして各地を転々としていた。
そんなある日、かつてのチームメイトであり、最下位に沈むF1®チーム「エイペックスGP」オーナーのルーベン(ハビエル・バルデム)の誘いを受け、現役復帰を果たす。
チームはこの2年半もの間、1ポイントも獲得できておらず、残り9レースで結果を出さなければ、スポンサーから見放され、チーム売却に追い込まれるという絶体絶命の危機に瀕していた。
そんな状況を覆すべく、ソニーはレースで型破りな戦略を立て、ルーキードライバーのジョシュア(ダムソン・イドリス)やチームメイトたちは困惑し、度々衝突を繰り返すが、次第にソニーの圧倒的な才能と実力に導かれていく。
ソニーは最弱チームを率いて、過酷な試練を乗り越えながら、並み居る強敵たちを相手にF1®の頂点を目指していくのだった。
主なキャラクター紹介
伝説の元F1®ドライバー|ソニー(ブラッド・ピット)

かつて世界に名を轟かせた伝説の元F1®ドライバー。しかし、レース中の大事故によってキャリアは断絶。
その後は各地を転々としながら、単発的にレースに参加するなど気ままな生活を送っていたが、かつてのチームメイトからの誘いを受け、最下位に低迷するF1®チームを救うべく現役復帰を果たす。
期待のルーキー|ジョシュア(ダムソン・イドリス)

F1®界の期待を背負う若きルーキードライバー。並々ならぬ情熱と非凡なドライビングセンスを持ち、チームの未来を担う存在として注目されている。
一方で自信家な一面もあり、型破りな作戦を次々と打ち出すソニーには強い反発心を抱き、たびたび衝突を繰り返す。
マシン開発担当|ケイト(ケリー・コンドン)

「エイペックスGP」のマシン開発部門を率いるテクニカルディレクター。高度な技術と知識を駆使し、勝てるマシン作りを冷静に追求する一方、その胸には情熱を秘めている。
ソニーから最強のマシン開発に伴い無茶な要求を受け困惑するが、彼のレースに対しての直感と才能には一目置いている。
チームオーナー|ルーベン(ハビエル・バルデム)

最下位に低迷するF1®チーム「エイペックスGP」のオーナー。
ソニーとはかつて同じチームでF1ドライバーとして切磋琢磨した旧友で、チーム再建を目指し、彼を30年振りのF1®へ復帰させるという大胆な決断を下す。
時速300km以上の映像体験
まず本作を鑑賞後に抱いた最初の感想は、「これは映画館で体感すべき作品」ということ。
それは物語の幕開け、世界三大耐久レースの1つである「デイトナ24時間レース」で、主人公・ソニーが深夜のコースへと飛び込むシーンから感じられる。
この時点ではまだF1®カーは登場していないものの、ドライバー視点で描かれる圧倒的なスピード感が、観客の五感に迫るような迫力で映し出され、序盤にして一気に心を鷲掴みにされてしまう。
実際このダイナミックな映像は、ドライバーのヘルメットに取り付けた超小型カメラによって、コックピットからの視界をリアルに捉えたことで実現しているのだ。
さらに驚くべきは、ソニーが前を行くマシンを追い抜く瞬間に、カメラは前方を捉えていたかと思うと、すれ違いざまに一気に後方へ振り返るという、その大胆なカメラワーク。

普通に考えば、時速300kmを超えるスピードで走るF1®カーから、横にパンするなど不可能だ。
しかし、撮影監督のクラウディオ・ミランダがSONYとタッグを組み、高速撮影に特化した超小型プロトタイプカメラを開発したことで、映画品質のレベルを保ちながら、映像を記録することが可能となった。
観客は、この革新的な技術のおかげで、ドライバーと同じ目線で高速移動するマシンを体感することができるのだ。
そんな圧倒的な映像体験がフィーチャーされがちな本作だが、実はそれと同じくらい音の表現も素晴らしい。
F1®カーに乗った時にしか感じられないであろう、腹の底まで響くエンジンの重低音や、タイヤが地面と擦れ合った時のスキール音、さらにギアチェンジの音まで、全ての音が細部まで丁寧に表現されている。
音響はレース映画には欠かせない要素なので、製作陣がこだわるのは当然といえば当然だが、ここまでの迫力だと、もはやエンターテインメントを超える域に達している気がした。
だからこそ、映画館で観る際は、ぜひ良質な音響設備と大スクリーンのある劇場で。
可能であれば、IMAXシアターでの鑑賞を強くおすすめしたい。
チームスポーツであるF1®
筆者自身はF1®にほとんど造詣がなかったため、この映画を通じて初めて知ることも多かった。
F1®とは、ライバルたちよりもいかに速く走るかを競うモータースポーツなので、てっきり個人競技のようなものだと思っていた。しかし本作では、F1®が”チームスポーツ”であることが強く描かれている。
特に印象的だったのは、ピットクルーによる神業ともいえる作業、いわゆる「ピットストップ」だ。

F1®の世界では、1度のピット作業に20人以上が配置され、それぞれが明確な役割を担いながら、前後左右のタイヤ交換などを数秒で行う。その平均タイムは、なんとわずか2.5秒。
本作では、こうした作業がどれほど緻密で、かつプレッシャーのかかる仕事なのかを、裏方であるクルーたちにもスポットライトを当てながら丁寧に描いており、F1®初心者にとってはまさに目から鱗の連続だった。
しかもこれらのピット作業は、時にドライバーが命を削りながら駆け抜けたレースを、たった数秒で台無しにしてしまう可能性すらある。まさに冷や汗ものだ。
実際、劇中でもピットクルーのミスによってレース全体に遅れが出るシーンが描かれており、F1®という競技の過酷さを痛感させられた。
また、F1®では原則1チームにつき2人のドライバーが参加する。
つまり、同じチームの仲間でありながら、最大のライバルでもあるという、矛盾を孕んだ関係性がF1®の世界では当たり前のように成立している。
しかも2人は同じマシンに乗るわけだから、勝ち負けに関係なく、レース後には気まずい空気が漂うのではないかと、素人目線では思ってしまう。実際、劇中でもソニーとジョシュアは何度も衝突しているので、あながち間違っていないかもしれない。
他にもチームは「プランA・B・C」と複数の作戦を用意し、レースの状況に応じて戦略を柔軟に切り替えるなど、F1®には頭脳戦としての側面もあり、その奥深さに改めて驚かされる。
そんなF1®の世界への入り口として、ファンから高い支持を集めているNETFLIXの『Formula 1: 栄光のグランプリ』を観てみようかと思い始めている。
王道エンタメとして100点の物語
*物語のネタバレが含まれております
カーレース映画の歴史を塗り替えるような圧巻の映像・音響体験が味わえる本作。だが、物語もそれに劣らず、ハリウッドらしい王道エンタメとして、非常に見応えある仕上がりとなっていた。
突如としてF1®の世界に舞い戻った主人公・ソニー。
序盤では、彼の常識破りな作戦に、チームメイトもスタッフが戸惑う様子が描かれるが、やがてその圧倒的なカリスマ性によって、周囲は徐々に信頼を寄せていく。
演じたブラピの存在感によるところも大きいのか、本来は中年のはずのソニーからは、カリスマ性だけでなく、色気さえも感じられる。
しかし、そんな飄々とした天才が30年以上もF1®の世界から身を引いていた背景には、かつてレース中に経験した大事故のトラウマがあった。
その出来事が彼を悪夢のように苦しめ続けていることが、激しいノイズが混じるフラッシュバック映像によって描かれている。

そんな癒えぬ傷を持つソニーは、なぜか毎レース前に必ずトランプを1枚裏向きにしてポケットに忍ばせ、レースを終えると何のカードなのかを確認する。
結末まで見ても、このルーティンが具体的に何を意味するのかは語られないのだが、筆者の勝手な解釈では、彼がトラウマと対峙している事の表れだと思った。
レースには常に死と隣り合わせの危険がある。
その現実を誰よりも理解しているソニーだからこそ、一見すると意味のないこの行動も、彼にとっては心を落ち着かせるための儀式であり、無事にレースを終えた自分が“表のトランプ”を見るための験担ぎとなっているのかもしれない。
こうしてソニーはトラウマと上手く共存しながら、中盤では彼もチームにすっかり溶け込み、F1®レースで勝てるムードが物語全体に漂ってくる。
しかし、当然の如く山も谷も用意されているのが王道のエンタメ映画。
テクニカルディレクターのケイトが手掛けた新型エアロパーツが、匿名の告発者によって規則違反と通報され、チームは改良前の遅いマシンでレースに挑むことになってしまうのだ。
このときソニーの内面は、静かに、しかし確かに行き場のない怒りに満ちており、いつものようにトランプをポケットに忍ばせる験担ぎすら行えなくなっている。
揺らぐ精神状態のままレースに臨んだソニーだったが、長年彼を苦しめてきた悪夢が再び現実となり、ついにはクラッシュ事故を引き起こしてしまう。
しかも、搬送先の病院で判明したのは、30年前の大事故の際に彼に下された衝撃的な診断内容だった。それは、「次に大きな事故を起こせば、失明や半身不随という命に関わる重篤な障害を引き起こす」というもの。
次のレースで勝たなければチームは終わりという状況下で、ソニーの旧友でありチームオーナーのルーベンは、勝つことよりも友情を選び、彼をマシンから降ろすという苦渋の決断を下す。
中年の男が、現役バリバリの若手に混じって活躍をするというのは、監督のジョセフ・コシンスキーの前作『トップガン マーヴェリック』とほぼ同じ流れだと言える。だが、決定的な違いは、マーヴェリックは年齢を感じさせず、むしろ熟練による”超人性”が強調されていたのに対し、本作のソニーは、卓越したテクニックを持ちながらも、年齢やアクシデントからくる肉体的衰えには抗えない――そんな絶妙なリアリティラインを描いている点にあると感じた。
死ぬかもしれない状況にもかかわらず、ソニーはボロボロの身体で30年間走り続けてきた。
なぜなら、彼の心には「走ること」に対する並々ならぬ情熱が宿っているから。そしていつの日かレース中に体験した、”ゆっくりと時間が流れ、全ての音が止まり、飛んでいる感覚になる”極限の状態を、もう1度味わうために。
飄々としていたソニーの心の内が見えてくると、病室にいる彼が余計に可哀想に見えて仕方ない。
ソニーの不在により、チーム内にも不穏なムードが漂い始めていたが、そんな悪い流れを断ち切ろうと、若手ホープのジョシュアがチームを引っ張っていこうとする姿は素晴らしかった。
物語中盤までは、ジョシュアは一方的にソニーに対して嫌悪感を示し、時には激しく衝突もしていたが、ベテランとしての経験と知恵を目の当たりにし、青臭かった彼が成長していく過程も、スポコン映画として非常に面白い部分だろう。
でもやっぱり最後には、夢を諦めかけた中年男の大活躍が見たいのだ。
そんな心の声を聞いていたかのように、ソニーが再びサーキットへ現れる。

しかも彼が、規則違反と指摘されたパーツの件が実は捏造だったというお土産を持って来たおかげで、チームは再び勝てるマシンで、アブダビのレースに挑むことができる。
ソニーはいつものように、ルーティンであるトランプを1枚ポケットに忍ばせ、最初で最後になるかもしれないF1®勝利に向けて走り出す。
熾烈なトップ争いを繰り広げるソニー・ジョシュアと、現実のF1®世界で史上最多である7度のチャンピオンを獲得したルイスハミルトン(本作ではエグゼクティブ・プロデューサーとして、全面的に製作に参加した)の3人。
そして本作における1番の見どころと言っても良い、ラスト3周。
ボロボロの身体になっても走り続けたソニーが、ずっと待ち侘びていた”ゆっくりと時間が流れ、全ての音が止まり、飛んでいる感覚になる”ゾーンへと入っていく。
これまでのダイナミックな映像とは打って変わり、彼と共にF1®レーサーの極限状態をスローモーションで体感できる、素晴らしい演出になっていた。
ゾーン状態になったソニーはそのままトップでゴールを決め、かつて最下位だったチーム「エイペックスGP」と夢を諦めかけていた彼は、F1®の歴史に残る奇跡を起こす。
熱狂と感動と興奮が混ざり合い、思わず全身に力が入るクライマックスとなったが、本作はこのラスト3周の為に作られたのではないかと思うほど、最高のレースシーンになったのではないだろうか。
表彰式では、ソニーは直接トロフィーを受け取らず、旧友でありチームオーナーのルーベンに譲る。その姿は、彼が栄光や名誉ではなく、「走ること」そのものを愛していることが表れていて、胸を打たれた。
そして、しばらくしてからポケットに入れていたトランプを確認して笑みを溢していたが、あれは何番のカードだったのだろうか。
9番目の男としてチームに招集されていたことから、「9」だったのでは?と想像することもできるが、彼の笑った表情を見ると、もっと意外な数字だったのかもしれない。
こうして念願のF1®初勝利を手にしたソニーだったが、生粋の流れ者は、また次なるステージへと走り出す。
それは、過酷なオフロードレースとして知られる「バハ1000」のドライバーとして走ること。しかし、世界最高峰のF1®で勝利したソニーは、本人が意図せずとも名が知れてしまっている。
「大金は支払えないぞ」と釘を刺されてしまうが、それに対して彼は「金のためにやってるんじゃないんだ」と笑って返す。
その表情からは、彼がこれから先ずっと“走ることの楽しさ”を追い続けていくのだろうと想像させられるような、素敵なラストになっていた。
熱を帯びたハンス・ジマーの音楽
本作『F1®/エフワン』を語るうえで絶対に外せないのは、映画音楽界の巨匠ハンス・ジマーが手がけた劇伴だ。
監督のジョセフ・コシンスキーとは、『トップガン マーヴェリック』に続いて再びのタッグとなる。
ハンスの劇伴で最初に思い浮かべるのは壮大なオーケストラだが、本作ではF1®の世界ならではのスピード感と緊張感を表現するため、オーケストラにエレクトロニックサウンドを融合させた音作りが特徴となっている。
顕著に表れているのは、メインテーマでもある楽曲「F1」。
重厚なストリングスと速いビートが掛け合わさることで、映画のドラマ性とF1®カーが持つテクノロジカルな雰囲気が表現されている。
轟音を響かせながらサーキットを駆け抜けるF1®マシンと、タイトルロゴのF1という文字が映し出される印象的なオープニングシーンで使用されていたが、これが鳥肌モノにカッコいい。
本作では、レース音も迫力が出るように作られているので、劇伴との相性はそこまで良くないかと思っていたが、そこは流石のハンス・ジマーの力量。見事にレース音と調和し、聴覚的にF1®の世界に引き込んでくれるような素晴らしい楽曲に仕上がっている。
他の収録曲もレースの熱を感じさせるものばかりなので、この機会にぜひサウンドトラックをチェックしてみてはいかがだろうか。
総評
鑑賞前は、F1®についての知識がないと物語を理解できないのでは──そんな不安を抱えていたが、それは完全に取り越し苦労だった。
F1®初心者でも構えることなく楽しめる、見事なまでに王道を貫いたエンタメ映画に仕上がっている。
何といっても圧巻なのは、年齢を重ね、円熟味を増したブラッド・ピットの存在感だ。スクリーンに映っているだけで絵になるその姿は、まさに大スターの風格そのもの。
かつて栄光を手にしながらも挫折を味わった元カリスマドライバー・ソニーが、彼の順風満帆ではなかったキャリアとも通ずるものを感じ、年齢を重ねたからこそ滲み出る色気と哀愁が、キャラクターに深みを与えていた。
ヒロインのケイトが彼に惹かれていくのも、自然な流れに感じられる。
また、本作では、F1®という競技を“チームスポーツ”として描いていたのも良かった。
カーレース映画ではドライバーにフォーカスが当たる印象が多かったが、本作ではピットクルーやエンジニアとの連携、作戦変更の駆け引きなど、チームスポーツとしての側面も描かれており、ドラマに厚みをもたらしていた。
ただ、筆者が本作でひとつ気になったのは、最終レース前にソニーの視界がぼやけ始めるという描写。
結局は観客を惑わせるためのミスリードに過ぎなかったが、「優勝した後に命を落とす」という予感が最後まで拭えず、熱狂的なレースの最中に、若干ノイズになってしまった印象がある。
とはいえ、そんな細かな懸念を吹き飛ばすほど、映像体験は圧倒的だった。
臨場感あふれるレースシーンに加え、どこか懐かしさすら感じる王道のストーリー展開は、F1®の知識の有無に関係なく、誰もが映画に没入できる熱量を持った作品だった。
数ある話題作の中でも、自信を持って「これは映画館で観るべき一本」と断言できる。
空の『トップガン マーヴェリック』に、地上の『F1®/エフワン』。
次回作は、トム・クルーズとブラッド・ピットの共演をどうしても期待してしまう。